Ciao, sono Okapi.
こんにちは、オカピです。
ここ最近は、「大丈夫」という言葉について、いろいろな言語で見てきました。
やさしく寄り添ってくれる言葉。
少しだけ安心できる言葉。
そんな言葉たちに触れているうちに、
心の中に、ちょっとだけ余裕のようなものができてきたような気もします。
そして、少し前向きになって、こんな気持ちがふっと浮かぶことがあります。
「行ってみようかな」
今日は、そんな気持ちをイタリア語で見てみたいと思います。
■ 「行ってみようかな」ってイタリア語で?
イタリア語では、こんなふうに言えます。
Forse ci vado(フォルセ チ ヴァド)
- Forse = たぶん、もしかしたら
- ci vado = そこへ行く
直訳すると、
「たぶんそこへ行くよ」になります。
でも、この言葉のいいところは、
はっきり決めすぎていないこと。
「絶対行く!」でもなく、
「やめておこう」でもなくて、
“少しだけ、行く方に気持ちが傾いている”
そんな、やわらかい位置にある言葉です。
■ 少し似ている、いくつかの言葉たち
「行ってみようかな」に近い気持ちは、
こんな言葉でも表せます。
Magari ci vado(マガーリ チ ヴァド)
「行けたらいいな」「行けたら行こうかな」
少しだけ“願い”が混ざる感じです。
Ci faccio un salto(チ ファッチョ ウン サルト)
「ちょっと顔出してみようかな」
軽やかで、外にひらいていくようなニュアンスです。
Vediamo(ヴェディアーモ)
「まあ様子見ようか」
決めないことを、そのままにしておく言葉です。
どれも、強く決めるというよりは、
そのあいだにある気持ちを大切にしているように感じます。
■ 「maybe」よりも、もう少しあたたかい感じ
英語の “Maybe I’ll go.” と似ていますが、
イタリア語の “Forse” には、どこか丸みがあります。
きっぱりしないことを、否定しないというか。
はっきり決めなくてもいいよ、という
そんなふわっとした気持ちを、そのまま大事にしてくれるような響きを感じます。
■ 音楽でいうと、少しテンポが動き出す感じ
この「Forse ci vado」という感覚、
音楽でいうと、ちょっと面白いところにあります。
ずっと静かだった曲が、
ほんの少しだけ前に進みはじめるとき。
たとえば、piano(ピアノ)で始まった旋律が、
少しずつ息を持ち始めて、
crescendo(クレッシェンド)で
ふわっと広がっていくような瞬間。
あるいは、
rubato(ルバート)で揺れていた時間が、
少しだけリズムを取り戻して、前に進みはじめるとき。
もしかすると、
「Forse ci vado」は、まだ con moto(コン モート) と書かれる前の、
その少し手前で、
心の中にだけ、小さく“動き”が生まれているような、
そんな場所にある言葉なのかもしれません。
■ 無理に決めなくてもいい
「行く」と決めるのは、
ときにエネルギーがいりますよね。
でも、
- 行くかもしれない
- 行かないかもしれない
- でも、ちょっと気になっている
そんな状態も、ちゃんと意味がある気がします。
むしろ、そのあいだにいるからこそ、
自然に前に進めることもあるのかもしれません。
■ 少しだけ外にひらく
「大丈夫」と思えたあとに、
すぐに大きく動く必要はなくて。
ほんの少し、
外の空気を感じてみたり、
誰かのいる場所を思い浮かべてみたり。
そのくらいの距離感でいいのかもしれません。
「Forse ci vado」は、
そんなやさしい距離で、外とつながる言葉です。

Anche solo un po’ va bene
(アンケ ソロ ウン ポ ヴァ ベーネ)
ちょっとだけでも、いいんだよ
■ おわりに
「行ってみようかな」
その気持ちは、
すでに少し前に進んでいるのかもしれません。
はっきり決めなくてもいい。
ゆっくりでもいい。
そんなふうに思えると、
少しだけ呼吸が楽になる気がします。
今日が、ちょっとだけ前向きで、
やわらかくひらく一日になりますように。
A presto 🍀


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